蓮のうてな~GT~

船越神社

南の端からやっとここまできました。
船越神社です。
R16を追浜に向かって船越トンネルを出るとすぐにあります。

a0145274_22294358.jpg


ご祭神は大山咋命さま、速玉男命さまです。

a0145274_21432940.jpg


明治の始めまでハス向かいの景徳寺境内に熊野神社がありましたが、
神仏分離令によってこの地に移し、昭和三年もう少し東側にあった日枝神社と合わせて
昭和九年一月に熊野神社の地名によって船越神社と改めたとのことです。
(三浦半島の仏教寺院と神社 より)

a0145274_21434465.jpg


むか~しむかし、このあたりの浜で漁師たちが朝早くから出漁準備などでいそがしく
たち働いているときのこと、沖合にゆらゆらと浮き沈みしながら波間にただよう「朱塗りの小舟」がみえた。
それをみつけた漁師たちは、何だろうと思って仕事の手を休め、沖の方をみつめた。
すると、不思議なことに小舟の中から黄金の御光があたかも月の出をつげるかのように輝いている。

漁師たちはおどろき、また不思議に思って、沖にくりだし小舟に近づけば、
その小舟の中に八寸三分の丈がある立派な観音菩薩像が立っていた。
実は、漁師たちがおどろいた不思議な光は、この尊像からでている御光だったのである。

さらにおどろいた漁師たちは、注意深く朱塗りの舟を波打ち際に引き上げ、大切にこの観音像をおろすと、
まずもって名主の家に相談にでかけた。
その後、この像は近くの「景徳寺」という臨済宗の寺に安置され、本尊として漁民の信仰を集めた。

また、朱塗りの小舟も同時におさめられたのだが、この時から観音様(十一面観音菩薩)が
沖から舟でお越しになった地であるということから、この由緒ある地を「船越」というようになったのであるという。
(三浦半島の伝説 より)


・・・ほんまかいな?
江戸後期までここには集落もなかったと、農家一軒やったと私は聞きましたが・・・
まぁ、あんまり突っ込むのはよしとしましょう。

a0145274_21435317.jpg


それよりも、船越という地名は日本各地にみられ、「舟が近道をするために山越えしたので、
その起点につけられた名前だ」という話のほうが説得力があるし、また、船越という地名は
いずれも海岸近くにあり、交通の拠点で舟を使う場合、海路をとおって迂回させるよりも山越えしたほうが
はやいという場所で、昔はいずれも舟を山越えさせたという話が伝えられているところである。

つまり、運河をつくると便利!という地形の場所なのだ。

実際、逗子の沼間(船越の山越えた隣町)の歴史資料の江戸時代のものに「船越から田越川に通ずる運河をつくることに反対である」
という意味の文書がみつかったらしい。
(三浦半島の伝説 より)

想像してみましょう。
現在二車線より狭いはずのあの道をうんこらえいこら逗子海岸からある程度まで田越川でさかのぼり、
途中から陸路で山越えをしてくるんですよ。

舟が!

すごない? すごいよね?

その反対された運河がもしできていたら、この辺の雰囲気も全然違ったものになっていたかもしれない。
せっかくならその舟に乗って、鎌倉参りとしゃれこむのもまた一興だったんじゃないかと思うのでした。




[PR]
by yuzu-lotus-gt | 2010-02-17 15:55 | 北へ 三浦半島編