蓮のうてな~GT~

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白川稲荷

今回は「近所の人しか知らんのとちゃうか?」と思えるほどのお稲荷さんです。
ちょっとホラーテイスト溢れるトンネルの隣にちんまりと鎮座してます。

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ここは「皆ヶ作(かいがさく)」という集落のはずれにあります。

地元商店の守り神としてまつられている。
お堂には五穀豊穣、家内安全、商売繁盛のお札がはられている。(田浦をあるく より)

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昔、この港に海軍や軍関係の施設、海軍工廠などができたとき、地方からたくさんの人が移り住んできたそうです。
海軍ですから、もちろん男性のほうが多い。
となると、当然色街もできる。
そう、この一帯はかなり有名な色街だった・・と近所のすけべなじぃさん
物知りの大先輩からお聞きしました。

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毎年節分会には、ここから鬼にコスプレした近所のすけべなおっさんがかわいい奥さんや
子どもたちを脅して町内を周ります。
これも、色街が華やかなりし頃からずっと続いているそうです。



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by yuzu-lotus-gt | 2010-02-25 23:11 | 北へ 三浦半島編

まりもメモ・船越神社

船越神社は、お向かいにある景徳寺の境内に応安2年(1368年)足利3代将軍・足利義満の頃に建立された熊野社が最初といわれています。

熊野社の神さま「速玉之男命・ハヤタマノオノミコト」は、和歌山県の熊野三山のひとつ熊野速玉大社にお祀りされている神さまです。
熊野速玉大社では「熊野速玉大神」というお名前なのですが、ハヤタマノオノミコトはイザナギノミコトとも言われていて、いろいろないわれがあるので、熊野の神さまはちょっと複雑です。

神話では、火の神を生んで亡くなったイザナミノミコトに会いにイザナギノミコトが黄泉の国へと行き、変わり果てた妻の姿に驚いたイザナギノミコトが地上に逃げ帰るのを怒ってイザナミノミコトが追いかけ、いさかいとなった時に、他の神さまのとりなしで二度と会わないとイザナギノミコトがツバを吐いて誓約をしました。
そのツバからハヤタマノオノミコトは生まれたといわれています。

えぇぇ~ツバから~・・・と思うでしょう?
いろいろ調べてみると、昔々のその昔には大事な誓約の時、ツバを吐いていたようなんです。

熊野速玉大社では、御輿を船に乗せて海上を渡御する神事があり、このことからハヤタマノオノミコトは海に関る神さまといえます。

熊野三山は、もともと独立した神社だったようです。
平安時代に入ってから、それぞれの神さまをお祀りしあうようになり、他の神さまも取り込み、仏教とも結びついています。

熊野詣をすると、極楽浄土へ行ける・・・神社を詣でて極楽浄土?・・・と思いますが、これも、仏教の影響といえます。
よく「権現・ゴンゲン」といわれる仏さまをお見かけしますが、これは、神社に祀られている神さまは仏さまの仮の姿、神の本体は仏であり、神は人を救うため権現の姿で現れる「本地垂迹説・ほんちすいじやくせつ」というところからきいてるようなんです。
ハヤタマノオノミコトを仏とすると「薬師如来」の仮の姿といわれています。

・・・む・難しくて、私もよく分かっちゃいないんですけどね・・・。

サッカー日本代表のエンブレムの3本足の八咫烏は熊野社の眷属。
熊野の神が海からやってきた時、3本足の一羽の烏が道案内をしたといいます。
熊野社の護符の牛王宝院には、この八咫烏の絵が描かれています。
昔、この護符は誓約書として使われ、誓約したことを破ると、そのたびごとに熊野の烏が一羽ずつ死ぬと言われていました。

全国にある熊野社は3千以上、熊野・王子・十二所と呼ばれる神社が熊野の神さまをお祀りしています。

神徳は、豊漁守護・国土安隠・延命長寿・出世成功・病気平癒・縁結び・夫婦和合・子宝・安産などです。
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by yuzu-lotus-gt | 2010-02-19 15:55 | まりもメモ

船越神社

南の端からやっとここまできました。
船越神社です。
R16を追浜に向かって船越トンネルを出るとすぐにあります。

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ご祭神は大山咋命さま、速玉男命さまです。

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明治の始めまでハス向かいの景徳寺境内に熊野神社がありましたが、
神仏分離令によってこの地に移し、昭和三年もう少し東側にあった日枝神社と合わせて
昭和九年一月に熊野神社の地名によって船越神社と改めたとのことです。
(三浦半島の仏教寺院と神社 より)

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むか~しむかし、このあたりの浜で漁師たちが朝早くから出漁準備などでいそがしく
たち働いているときのこと、沖合にゆらゆらと浮き沈みしながら波間にただよう「朱塗りの小舟」がみえた。
それをみつけた漁師たちは、何だろうと思って仕事の手を休め、沖の方をみつめた。
すると、不思議なことに小舟の中から黄金の御光があたかも月の出をつげるかのように輝いている。

漁師たちはおどろき、また不思議に思って、沖にくりだし小舟に近づけば、
その小舟の中に八寸三分の丈がある立派な観音菩薩像が立っていた。
実は、漁師たちがおどろいた不思議な光は、この尊像からでている御光だったのである。

さらにおどろいた漁師たちは、注意深く朱塗りの舟を波打ち際に引き上げ、大切にこの観音像をおろすと、
まずもって名主の家に相談にでかけた。
その後、この像は近くの「景徳寺」という臨済宗の寺に安置され、本尊として漁民の信仰を集めた。

また、朱塗りの小舟も同時におさめられたのだが、この時から観音様(十一面観音菩薩)が
沖から舟でお越しになった地であるということから、この由緒ある地を「船越」というようになったのであるという。
(三浦半島の伝説 より)


・・・ほんまかいな?
江戸後期までここには集落もなかったと、農家一軒やったと私は聞きましたが・・・
まぁ、あんまり突っ込むのはよしとしましょう。

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それよりも、船越という地名は日本各地にみられ、「舟が近道をするために山越えしたので、
その起点につけられた名前だ」という話のほうが説得力があるし、また、船越という地名は
いずれも海岸近くにあり、交通の拠点で舟を使う場合、海路をとおって迂回させるよりも山越えしたほうが
はやいという場所で、昔はいずれも舟を山越えさせたという話が伝えられているところである。

つまり、運河をつくると便利!という地形の場所なのだ。

実際、逗子の沼間(船越の山越えた隣町)の歴史資料の江戸時代のものに「船越から田越川に通ずる運河をつくることに反対である」
という意味の文書がみつかったらしい。
(三浦半島の伝説 より)

想像してみましょう。
現在二車線より狭いはずのあの道をうんこらえいこら逗子海岸からある程度まで田越川でさかのぼり、
途中から陸路で山越えをしてくるんですよ。

舟が!

すごない? すごいよね?

その反対された運河がもしできていたら、この辺の雰囲気も全然違ったものになっていたかもしれない。
せっかくならその舟に乗って、鎌倉参りとしゃれこむのもまた一興だったんじゃないかと思うのでした。




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by yuzu-lotus-gt | 2010-02-17 15:55 | 北へ 三浦半島編

まりもメモ・諏訪神社

全国に七千近くある諏訪社の総本社は、長野県の諏訪大社。
諏訪大社の神事を司っていた諏訪氏が平安末期頃から武士化し、鎌倉時代に北条氏と親密な関係になっていたようなので、阿部倉の諏訪神社も三浦の地に入ってきた諏訪氏に関る人が、社を建立し神さまをお祀りしたのかもしれません。

諏訪社の神さまは、「建御名方神・タケミナカタノカミ」

父は「大国主命・オオクニヌシノミコト」母は「沼河比売命・ヌナカワヒメノミコト」
ヌナカワヒメノミコトは高志国(こしのくに・北陸から山形県の南の一部)の沼河に住んでいて、オオクニヌシノミコトの求婚に応えて結婚し、タケミナカタノカミを生んだと言われています。

タケミナカタノカミは、「建御雷神・タケミカヅチノカミ」「経津主神・フツヌシノカミ」との日本三大軍神の一柱で、武勇に長けた神さまでもあります。

タケミナカタノカミは、国譲りの神話に登場します。

アマテラスオオミカミが豊葦原中の国(とよあしはらのなかのくに・日本国の美称)を手中するため、タケミカヅチノカミを中の国に使者として送ります。
タケミカヅチノカミは高天原の神さまの中でも強面の持ち主で、閃光と稲妻を轟かせながら出雲の伊那佐の浜に降り立ち、オオクニヌシノミコトに国を譲るよう迫りました。
オオクニヌシノミコトは「私のふたりの息子の意見を聞いてから答えましょう」と言うと、息子の「事代主命・コトシロヌシノミコト」とタケミナカタノカミに意見を求めました。
コトシロヌシノミコトは、タケミカヅチノカミの強面の迫力に圧倒され「天津神(あまつかみ)の言うとおりにいたしましょう」と答えると、いつも釣りをしている出雲半島の美保が関の海に潜ってしまいました。

タケミナカタノカミは国譲りには大反対で「この国が欲しければ、力で取っていけばいい!私が相手をする!」と戦いを申し出たのです。

ふたりが組み合いタケミナカタノカミがタケミカヅチノカミの手をつかもうとした時、その手が氷柱や剣に変化し、タケミナカタノカミがそれに怯んだ瞬間、タケミカヅチノカミはタケミナカタノカミの腕をつかみ軽々と投げ飛ばしてしまったのです。

負けたタケミナカタノカミは出雲国から逃げ出し、タケミカヅチノカミは科野国(信濃国・しなののくに)の州羽の海(諏訪湖・すわのうみ)まで追いかけてきて殺そうとしたのですが・・・。

タケミナカタノカミは「国譲りを認めます。今後、私は州羽の地から出ることはないでしょう」と服従を誓って許され、州羽の海のほとりに隠棲したと言われています。

・・・日本三大軍神というには、ちょっと・・・?というお話しでしょう。


これは、私の推測なんですが・・・。
アマテラスオオミカミの命を受けて、オオクニヌシノミコトに国譲りを迫ったタケミカヅチノカミは中臣氏(なかとみし)後の藤原氏の祖神と言われています。

諏訪地方に伝わる諏訪社の縁起譚「諏訪大明神絵詞・すわだいみょうじんえことば」には、タケミナカタノカミが諏訪の氏神・洩矢神(モレヤシン)と戦い、勝利したタケミナカタノカミがモレヤシンや諏訪湖の竜神を征服し従えて諏訪の地に鎮座したと記されいてるそうです。

タケミナカタノカミは、諏訪の外から来た神さまらしいのですが、出雲からやって来た・・・とは伝わっていないようなんです。
・・・なんかね、時の権力者が、自分の家系に関る神さまの印象を強めるために、地方神を利用したのではないかなぁ・・・と、思ったんです。

神話に登場する神さまの中には、地元の言い伝えとは違うものが時々見られます。
時には、中央に従わない地方氏族を征服し、それを神話にして書かいていることもあるようです。
神さまのいわれを読んでいるうちに、あれ?これは・・・?と思うことを見つけたとき、わくわくするんですよねぇ・・・。

タケミナカタノカミは坂上田村麻呂や名だたる武将たちが信仰したこともあって、武勇の神という印象が強いですが、農耕守護、風・水の神、山を生活の場にしていたマタギには狩猟の神としての姿が本当のようです。

神徳は、五穀豊穣・産業興隆・開運長寿・武運長久など。
また、タケミカヅチノカミとの戦いからお相撲の神さまでもあります。

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長野の諏訪大社(上社)
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by yuzu-lotus-gt | 2010-02-13 16:17 | まりもメモ

阿部倉諏訪神社

横須賀にはまだまだ秘境のような場所があります。
そのひとつが阿倍倉。
なんでも、三浦一族が隠し湯として持っていた温泉もいまだ現役でこちらにあるとか。

でも、温泉は大好きなので次回行くとして・・
今回は諏訪神社へ。


急な坂道を下りていくと竹藪があります。

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とても立派な御神木。

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御祭神は「建御名方命」さま。
昔の下平作村にあり、いつ頃勧請したのかは不明。
(三浦半島の仏教寺院と神社 より)

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この神社のある阿倍倉には昔から七不思議の言い伝えがあります。
1・明神の相生の松=阿倍倉の鎮守、諏訪神社の境内に松を植えると、必ず相生の姿になる。
2・向山の南面の月=向山と呼ばれる山の上に出る月は、必ず南の方向にだけ見える。
3・湯の沢の昼の蛍=湯の沢地区では、昼でも蛍が光を出して飛ぶ。
4・湯の沢の夫婦石=湯の沢にある二つの石に祈ると、夫婦は仲良くなる。
5・湯の沢の朝夕の霧=湯の沢では、四季を通じて朝も夕方に濃い霧が立ち込める。
6・平山の片葉の葦=平山地区に生える葦は、葉が必ず片方ばかりに出る。
7・萩野の勝手水=萩野知久のどの井戸も、春と夏は水をたたえ、秋冬になると枯れてしまう。
  (どこへ井戸を掘っても必ず清浄な炊事用水が出る、とも言われている)

                        (古老が語るふるさとの歴史 衣笠編より)

つっこみどころは満載なんですけど・・・
まず、現在松は確認できませんでした。
2番目、ちょっと意味がわかりにくいです。方角によるのでは?
345 はちょっとスルーして。
6番目は方角の問題ではないでしょうか?
7番はなんか伝説と(かっこ)の内容に矛盾があるかと。

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ここより少し南東方向に行くと、衣笠城址があります。
もしかしてもしかすると、この七不思議って何らかの「謎」ときが込められているのでしょうか?



ここの割と近くに住む友人も、阿倍倉はちょっと変わってるかも?
と言ってました。
もし、いろいろと情報をおもちの方いらっしゃいましたら、ぜひお話を聞かせていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

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by yuzu-lotus-gt | 2010-02-07 14:31 | 北へ 三浦半島編

安房口神社

前回、千葉側の安房神社を訪れましたが、今回はその兄弟分?のようなお社です。

なんと、住宅街の真ん中にあるブロッコリー山、それが安房口神社です。

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では、階段を上ってみましょう。
おお、素晴らしいほどのスダジイの森。
トトロでも出てきそう。


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そんなトトロの森の古い古い形のお宮さんの御神体はこちら!


あ~ん、ボケててすいませ~~ん。
それもこれも私の腕が悪いんですぅ。

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御祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)さま。
創建された年代はわかっていませんが、磐座信仰という形から三浦半島で一番古いお社ではないか?
といわれています。

詳しいことが看板に書いてありました。
よろしければ、拡大してお読みくださると幸いです。

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日本武尊も源頼朝もここで武運を祈るほど、古いというのがまずすごいですよね。
タケルさんはこの後走水へ下り、海を渡っていったのでしょう。

御神体をお守りするかのような木の生え方が気になりました。

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本当ならば、宅地よりも森をもう少し広げて保存して欲しかったと思います。
確かに、この現代においてあまり暗い森が宅地にあっても、痴漢がでたり、犯罪の温床にも
なりかねないかもしれません。
でも、森があることでほっとしたり、大事な何かを守ったりすることも
できるのではないでしょうか?

そんなことを思う、私なのでした~。
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by yuzu-lotus-gt | 2010-02-02 23:16 | 神のやしろ