蓮のうてな~GT~

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まりもメモ・瀬戸神社その2

瀬戸神社に、お祀りされている神さまは多いですね。
たぶん、いろいろな理由で瀬戸神社にお祀りされるようになったのでしょう。

その中の「味耜高彦根命・アジスキタカヒコネノミコト」のお話しを・・・。


別名を「阿遅志貴高日子根神・アジシキタカヒコネノカミ」「阿遅須枳高日子命・アジスキタカヒコネノミコト」「阿遅鋤高日子根神・アジスキタカヒコネノカミ」といいます。
また、古代の豪族・賀茂氏の始祖と言われているので、「迦毛大御神・カモノオオカミ」ともいいます。

父は「大国主命・オオクニヌシノミコト」、母は「多紀理毘売命・タギリヒメノミコト」妹は「下照姫神・シタテルヒメノカミ」
妻はアメノミカジヒメ、子にタギツヒコがいます。

父、オオクニヌシノミコトは八百万の神々の中でも、ぴかいちの美男!
母、ダギリヒメノミコトは宗像大社に鎮座する宗像三女神の一柱で、この神さまも美女。
両親が美男美女ということで、アジスキタカヒコネノミコトも美青年の神さまです。

・・・どういう美青年かは、お好みの男性を妄想・・・いや、想像してください。

妄想図・・・いや想像図  ↓

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国譲りの神話で、タケミカヅチノカミがオオクニヌシの子タケミナカタノカミと力くらべで勝ち、地上の主権を譲り渡してもらいますが、タケミカヅチノカミがその役につく前、アメノホヒノカミとアメノワカヒコノカミが使者として地上に降りていました。

第一の使者アメノホヒノカミは、オオクニヌシノミコトに会うとその人柄に心服し使者としての役目を忘れ、そのまま地上に住み着いてしまい、3年の間、一度も高天原に何も報告をしませんでした。

それではダメだと、アメノワカヒコノカミを第二の使者に送ったのですが、アメノワカヒコノカミはオオクニヌシの娘シタテルヒメに恋していまい結婚。
地上の主の娘と結婚もしたし、オオクニヌシの後継者!地上の王になろう!・・・と野心をいだき8年もの間、高天原に報告をしませんでした。

高天原では、一向に報告をしてこないアメノワカヒコノカミに疑いを持ち、真意を確かめるため雉の鳴女(きじのなきめ)を使いに出したました。
アメノワカヒコノカミはその雉女を、地上に使者として降りてくる時にアマテラスオオミカミより賜った弓矢で射殺してしまったのです。
雉女を射た矢はアマテラスオオミカミのところまで飛んいき、雉女の殺害が発覚。
アマテラスオオミカミは「逆心の心があるなら、この矢がアメノワカヒコノカミに災いを与えるだろう」と矢を投げ返すと、矢はアメノワカヒコノカミの胸を射抜き、死んでしまいました。
アメノワカヒコノカミの妻子の嘆きは深く、高天原より父のアマツクニタマも駆けつけ喪屋を建て殯(もがり)の儀式をはじめました。

そこに、アメノワカヒコノカミの友人アジスキタカヒコネノミコトが高天原より弔問にやってきたのです。

シタテルヒメとアマツクニタマは驚きました。
アジスキタカヒコネノミコトはアメノワカヒコノカミとそっくりだったのです。

死んだアメノワカヒコノカミが蘇ったと、シタテルヒメやアマツクニタマは喜びアジスキタカヒコネノミコトに抱きつきました。
死者と間違われたアジスキタカヒコネノミコトは「穢らわしい!」と、持っていた剣で喪屋の柱を切り倒し、蹴り飛ばして天空に去っていきました。

う~ん・・・間違われたくらいで、そんなに怒らなくてもいいじゃん・・・て思うんですけどねぇ・・・。

「出雲国風土記」に、この神さまの養育の様子が載っていて、アジスキタカヒコネノミコトが幼児の頃、昼夜泣き止まないので船に乗せて八十島を巡ったり、高屋を建て梯子をかけて上げ下げさせて遊ばせたといいます。
・・・高屋は、ジャングルジムみたいな物でしょうか・・・。

気性の激しさや剣を持って天空を駆ける様は、雷、落雷を表した雷神の姿。
雷神は作物に雨をもたらす水の神であり、別名の阿遅鋤高日子根神の鋤(すき)は田の神を祀る時の呪具でもあり神の依代でした。

アジスキタカヒコネノミコトの若々しい姿は、青々と育つ稲を、アマテラスオオミカミが投げ返した矢で死んだアメノワカヒコノカミは、稲が黄金色に実り稲穂が垂れ、後は刈り取られる・・・という稲の成長を表しているとも言われています。

アジスキタカヒコネノミコトには、おや?っと思ったことがあって・・・。
オオクニヌシノミコトの息子であるアジスキタカヒコネノミコトは、地上に住まずに高天原にいるんですよ。
農業の神であり、雷を轟かせ恵みの雨を降らし地上とは縁が深いのになんで?・・・と思いましてね。

・・・神さまにも家族の事情っていうのがあるのかも・・・なんて想像しました。

アジスキタカヒコネノミコトの神徳は、農業守護・不動産業の守護・家内安全・商売繁盛・・・などです。
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by yuzu-lotus-gt | 2010-03-30 17:00 | まりもメモ

まりもメモ・瀬戸神社その1

瀬戸神社のご祭神「大山祇神・オオヤマツミノカミ」は別名「和多志大神・ワタシノオオカミ」「酒解神・サケトキノカミ」といいます。

オオヤマツミノカミは、日本の山の総元締めで、海にも関わりがあります。

父はイザナギ、母はイザナミ、妻は「鹿屋野比売神・カヤノヒメノカミ」
子はイワナガヒメ・コノハナサクヤヒメ、コノハナチルヒメ、カムオオイチヒメ・・・などなど。
神話で、父はオオヤマツミノカミという神さまが多く登場します。

山の神というと女神というイメージですが、オオヤマツミノカミは男神。
山仕事に女性がいると、山の神は女神なので女性に嫉妬し事故がおこる・・・と言われますが、山仕事は本来男性の仕事であり、そこに異性がいると、争いになり仕事が滞る。
山の仕事は危険なことが多く、争いの元は最初から近づけない・・・というのが理由なのでしょう。
山に関る企業では、オオヤマツミノカミをお祀りしていることが多いようです。

名のオオヤマというのは、立派で美しい高い山ということを表し、別名のワタシの「ワタ」とは海を、「シ」は司(つかさ)という意味で、オオヤマツミノカミは山と海とを司る神さまとして信仰されてきました。

・・・ですが、神話では、オオヤマツミノカミが活躍している話しは、ほとんど見かけません。
支配しているのは山と海と広大なのですが、ワクワクするような話しがないんです。
ワクワクする話しはありませんが、オオヤマツミノカミには父性が強く感じられる話しがあります。

天孫ニニギノミコトは、笠沙の御前(かささのみさき)でコノハナサクヤヒメを見初め、求婚します。
父神オオヤマツミノカミは、ニニギノミコトからの求婚を大いに喜び、コノハナサクヤヒメと姉神のイワナガヒメを共に嫁がせました。

でも、妃として迎えられたのはコノハナサクヤヒメだけ・・・イワナガヒメは父神の元へ帰されてしまいます。

コノハナサクヤヒメは「コノハナ・桜」のように可憐でたいそう美しかったのですが、イワナガヒメは山の岩石の精霊の化身なので、その容姿は醜いものだったのです。

ニニギノミコトからすると、結婚を申し込んだ相手はコノハナサクヤヒメなのに、なんでブス(すみません・・・)のイワナガヒメまでくるの?・・・という思いだったでしょう・・・ニニギノミコトの気持ちはわかります。

けれど、オオヤマツミノカミが姉妹でニニギノミコトに嫁がせたのには意味があってのことでした。

「姉妹でもって天孫に嫁がせたのは、生まれてくる御子の命が、姉神の雪にも風にもたえ永久であるように、妹神には木の花のように美しく咲き満ちて栄えるようにと占ったものです」
「イワナガヒメを帰されたことで、天孫の御子の命は、木の花のように散りはかないものになるでしょう」・・・と嘆きました。

この意味を知ってニニギノミコトが姉妹を共に妃にしていたら・・・歴代の天皇ばかりでなく日本人の寿命はもっと長寿になったかもしれません。

また、コノハナサクヤヒメがニニギノミコトの御子を産むと、オオヤマツミノカミは大変喜び「狭奈田の茂穂・さなたのもほ」(よく実った米)でアメノタムケ酒を造り天地の神々にふるまいました。
このことで、オオヤマツミノカミは「酒解神・サケドキノカミ」酒造の神となり、子のコノハナサクヤヒメも「酒解子神・サケトケノコノカミ」と呼ばれています。

全国にオオヤマツミノカミをお祀りするお社、お宮は一万社以上あると言われています。
その本拠地は、愛媛県大三島町の大山祇神社。
戦国時代には瀬戸内の水軍の守護神、武門の神としての信仰も厚かったようです。


オオヤマツミノカミの神徳は、鉱山業守護・農産・山林・酒造業守護・航海守護・漁業・商売繁盛・家庭平安・厄除けなどです。
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オオヤマツミノカミをお祀りしている、神奈川県の大山阿夫利神社
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by yuzu-lotus-gt | 2010-03-27 10:02 | まりもメモ

ついに横浜 瀬戸神社 

今回訪れたのは、横浜市の南の端にある金沢区は京急線金沢八景駅からもすぐのところにある
瀬戸神社です。

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なんだかウェルカムな感じで開いてたので、中を写させていただきました。
立派な絵馬ですね。

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ご祭神は・・・なんとこれがたくさんいらっしゃいまして。

大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
速須佐之男命 ( はやすさのおのみこと )
菅原道真 ( すがわらみちざね )
徳川家康 ( とくがわいえやす )
伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと )
伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
速玉男命 ( はやたまおのみこと )
天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
菊理比売命 ( くくりひめのみこと )
木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
味耜高彦根命 ( あじすきたかひこねのみこと )
建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
猿田彦命 ( さるたひこのみこと )

です。(ぜぇぜぇ)

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大昔、今日の泥亀町から釜利谷東一帯は大きな入江でした。
この入江と平潟湾とは、今日の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路状の海峡でつながっていました。

そしてこの小さな海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「せと」でした。
そこに「海神(わだつみのかみ)」をお奉りしたのがはじまりといわれています。

おそらく、この小さな祠の皆さんは六浦の村を町へと開発していったときに
こちらに移されたものかと思われます。

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こちらは小さなお稲荷さんの祠。
ちょうどその下のあたりや崖の浸食された感じから、大昔の海がきっとここまで来てたことを思わせます。

きっと、国道16号線は昔の海岸線ギリギリだったのでしょう。

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平潟湾に突き出たところ、弁天島に境内神社の琵琶嶋神社があります。
祭神は市杵嶋姫命です。
通称は弁天様とよばれています。

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治承四年 (一一八〇)、 鎌倉に入った源頼朝が、日頃崇敬する伊豆三島明神を、この霊域に遷祀してからは、「瀬戸三島大明神」と呼ばれて上下の尊信を集め、延慶初年には正一位の神階を受けた。執権北條貞顕、関東管領足利持氏、成氏父子、小田原北條氏等歴代の武門名将の崇敬も篤く、特に足利成氏は何回も参拝し、社頭の弁天島境内での直会の有様も記録にのこっている。

徳川家康も慶長五年 (一六〇〇)、 みずから参拝して百石の社領を寄進し、元禄以後は領主米倉丹後守をはじめ、金沢八景の中心として江戸市民の間にまで多くの信仰者がひろがった。
明治六年 (一八七三) 、郷社に列格、戦後は宗教法人となり、昭和四十三年、神奈川県神社庁の献幣使参向神社に指定された。現在の社殿は寛政十二年 (一八〇〇) の建造、御屋根は昭和四年の葺替えになる。

(神奈川県神社庁ウェブサイト より)

なかなかすっごい神社でしょ?
調べてみて、私はびっくりしました。

せっかくなんで、瀬戸神社さんのサイトも訪れてみてください。



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by yuzu-lotus-gt | 2010-03-24 23:22 | 北へ 横浜(金沢区磯子区)編

やっとここまで

南の端にある毘沙門天さんから雷神社まで、三浦半島を北上してきました。
ここから先、和田山から向こうは相州ではなく、武蔵の国に入ります。
今は横須賀市と横浜市の境目です。

ちょびっとずつ、思ったことを書いてみたいと思います。


・毘沙門天  この企画をやろうと思い付いて初めて訪れたところです。
       友達に場所を案内してもらわないとたぶんたどりつけませんでした。

・走湯神社  温泉湧いてたらうれしいな~と思いました。

・白山神社  こんなとこに古墳があるよ!とたまげました。

・須軽谷八幡社 ここも道が狭くてわかりづらかったです。
        よくぞたどり着けました。

・太田和八幡宮 明らかに村のお宮さんですが、とっても綺麗な感じがしました。
        それよりも、幼稚園のパーシー?が気になりました。

・阿倍倉諏訪神社 個人的な理由により、もう訪れることはないかと思います。
         道が狭すぎて怖いんだよぅ!

・船越神社  昔おい茂っていた森が開発でなくなったときは、裸にされた神社みたいでちょっと気の毒に思ったりもしたのですが、
       現在村・・いや町の氏神様としてパワーを発揮!

・白川稲荷  お稲荷さんなのにお狐さんの人形はありません。なぜ?

・雷神社   個人的にお気に入りの神社です。今回は求めませんでしたが、絵馬の図柄がまたいいんです。


ここから先、はたしてどこまで行けるのでしょうか?
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by yuzu-lotus-gt | 2010-03-21 21:57 | 北へ 三浦半島編

まりもメモ・雷神社

「火雷神・ホノイカヅチノカミ」の別名は「八雷神・ヤクサノイカヅチノカミ」といいます。


ホノイカヅチノカミが生まれたところは、黄泉の国。

火の神を産んだことで、陰部に大火傷をおったイザナミは看病のかいなく亡くなります。
イザナギは亡くなった妻を比婆の山に葬りますが、愛しい妻を忘れることが出来ず黄泉の国へと向かいます。

黄泉の国のイザナミの住まいまでたどり着き、イザナギは戸越に地上へ帰ろうと言うと、
「もう、黄泉の国の食べ物を食べてしまったので地上に戻ることはとても難しいのです」
「帰るためには黄泉神と話しをしないといけないので、そのまま待っていてください・・・けして、戸を開けて私の姿を見ることのないように・・・」・・・と、イザナミは家の奥へと入っていきました。

イザナギは長い時間待っていましたが、どのようなことになっているのだろうと、角髪(みづら)に結っている髪にさしていた櫛の歯を折り火を灯して戸の隙間から中を見てみると・・・。
そこには、美しかったイザナミではなく、声もつぶれ体も腐ってウジがわいている姿で、体には八柱の雷神がまとわり付いていたのです。

頭には、大雷(オホイカヅチ)胸には、火雷(ホノイカヅチ) 腹には、黒雷(クロイカヅチ) 陰部には、折雷(サクイカヅチ) 左手には、若雷(ワカイカヅチ) 右手には、土雷(ツチイカヅチ) 左足には、鳴雷(ナルイカヅチ) 右足には、伏雷(フスイカヅチ)

イザナギは恐ろしくなりその場から逃げ出しました。
イザナミは、醜い姿を見られた恥ずかしさと夫が約束を違えた怒りで「黄泉醜女・ヨモツシコメ」をさしむけます。
イザナギはヨモツシコメやその後に追ってきた八柱の雷神、黄泉の国の兵士などをいろいろな方法でかわしながら黄泉の国と地上の境にある黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)の坂本にたどり着き、坂にあった桃の実を追っ手に投げると悪霊達は逃げ帰っていきました。

最後にイザナミが追ってきたので、悪霊が地上に出ないようにヨモツヒラサカを大岩で塞ぎ、大岩を挟んでイザナギとイザナミの夫婦は、もう二度と会うことはない・・・と離縁の誓いをしたのです。

イザナミはこの後、黄泉の国の主となり「黄泉津大神・ヨミツオホカミ」「道敷大神・チシキノオホカミ」と呼ばれるようになりました。


八柱の雷神は、腐敗したイザナミの体から生まれた・・・というとあまり気持ちのいい話ではありませんが、
雷神の名前は、雷がおこすさまざまな現象をそれぞれ一柱の神さまとしてあらわしています。

雷が鳴ると雨が降る、落雷が多い地域では雷から身を守ってくれる神として、雷の激しい閃光と雷鳴を脅威と感じながらも、畏敬の念をもってお祀りしていたようです。

雷・かみなり・・・とは「神が鳴る」という言葉が語源と言われています。


ホノイカヅチノカミの神徳は、農業守護、雨乞いにご利益があると言われています。
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by yuzu-lotus-gt | 2010-03-12 22:56 | まりもメモ

雷神社

まだ真冬なのに暖かいな~と思える日に、追浜にある雷神社へ。
皆さん「かみなり神社」と呼んでいますが、本当は「いかづち神社」なのです。

ご祭神は 火電命 境内社には、お稲荷さん、日本武尊社もあります。

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創建は承平元年(931年)!!
当地浦之郷の住人が天上から火の霊を授かったために祠を建てて奉伺したという。

1581年、11月3日領主朝倉能登守が旧地「苗割」より当地に奉還した。
かつて塩浜にあったとき、永禄年間の落雷にはこの神の加護によって塩浜にいた12人の婦女子は助かったという。
1591年徳川氏が浦之郷に朱印地二石を賜う。

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1707年9月に酒井雅楽頭(うたのかみ)が武運長久と当地の除災を願って社殿を再建した。
明治6年に旧村社に列せらる。
同16年慶大を拡張し社殿をさらに上段のいただきに近い現位置に改築した。

当社は浦之郷村の鎮守として永く村民に崇敬された。
源頼朝が国家安全祈願のため奉幣したと伝えられる。

また海上安全、除災の守護神として広く信仰され、崇敬者は関八州、江戸市全域に及んだという。

「三浦半島の仏教寺院と神社」 より

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この神様は誰でしょう?もしや、タケルさん?

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こちらはお稲荷さん。

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こちらがもともとの雷神社の場所。

 この槇柏の大きな幹が黒こげになったまま立ち枯れている。

江戸時代の少し前から、このあたりの領地は朝倉能登守景隆(あさくらののとのかみかげたか)が支配していた。
ある都市の6月15日のこと、村の娘たち12人があつまって築島さまの境内で
にぎやかに笑いながら夕方の片づけ仕事をしていた。
その頃は築島さまの近くまで海がいりこんでいたので、この付近は入浜式の塩田がかなりあったらしく、
今でも碑文のある場所にある池は昔の塩田跡だったといわれているくらいである。

ところで、その日は夕方まで雲ひとつない晴天であったが、夕方になると急に雲行きがあやしくなり、
雨雲が低く垂れこめたかと思うまもなく、豪雨とともに、閃光につぐ雷鳴が轟いた。
あまりにも急な雷雨におどろいた娘たちは家に帰るどころか、稲妻に目もくらみどうすることもできなくなり、
お互いに身を寄せ合ってその場にうずくまり、ただ神様にいお祈りをするだけだった。
どのぐらいの時がたったのか、やがて激しい雷雨もうそのようにピタリとやんだ。

うずくまっていた娘たちが恐る恐る誰からともなく顔をあげると、不思議なことに一刻ほど前とは比べようにならないほど
様相がかわって、築島様の御祠はどこへいったことやらお姿さえみえない。

そればかりではなく、さきほどまで境内に深々と茂っていて娘たちが身を寄せあった頭の上の神木である
槇柏は枝も葉も飛び散り、幹は黒こげになってしまい、落雷による煙があたり一面にたちこめていた。
だが、娘たち12人はみんな無事であることを喜び、これは築島さまが私たち12人の身代わりになってくださったに違いないと、
改めて神様に感謝した。

やがて娘たちの無事であったうれしいニュースは村中にひろがり、領主の朝倉能登守のもとにも報告された。
それを聞いた領主は、早速村人にはからい、新しい社殿を建立し、「築島さま」にかわって「雷神社」と名を改め、
社領を寄進して村の鎮守としたので、石碑に「再興し奉る雷電大明神御宝前総」としるされ、
「朝倉能登守大檀那新造立」とされている。

「三浦半島の伝説」 より


ところで築島さまとはなんでしょう?

 雷神社の奥の院だった。
関東大震災までは、大潮の満ち潮の際には、前を流れる鷹取川まで潮が満ち小島になった。
約五百年前ごろ、女性の生理は不浄とされ、迷信に惑わされてその時期は、家族と離れ、島の掘立て小屋で過ごした。
この悪風は近代まで続いたが神社は天正9年(1581)場所を改め、再興した。

「横須賀市追浜地区情報 おっぱまタウン」より

生理が不浄って・・・失礼よねっ。(プンプン)
でも、そうやってみんなで集まってわいわいしながら手仕事しながら日頃の疲れを癒してたのかもしれませんね。
そうでもしないと、女性ってなかなかお休みももらえなかったでしょうし。
「不浄」という言葉はあまりよくないけど、男性たちやおばあちゃんたちからいたわってもらってたんでしょう。


秋に訪れたとき、御神木のイチョウがとても見事で見とれてしまいました。

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by yuzu-lotus-gt | 2010-03-09 22:06 | 北へ 三浦半島編