蓮のうてな~GT~

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菅原道真・その1

お久しぶりです・・・まりもです。
今年の夏は暑すぎて、北国育ちの私には堪えました・・・寒冷地仕様の体なので、脂肪が厚いんです・・・。

さてさて、柚さんが大宰府天満宮へ行かれたというので、菅原道真さんをいろいろ調べてみました。


学問・受験合格にご利益があり、天神さまと親しみをもって言われる菅原道真ですが、神さまとしての最初は、恨みを残して非業な死を遂げ、自分を貶めた者たちやその縁者に祟りを成した怨霊でした。

太宰府天満宮は、道真の遺体を大宰府の三笠郡という地に葬るため牛に乗せて運ぶ途中、安楽寺というお寺の前で牛が動かなくなり、仕方なく道真の遺体をその場に埋めて祠を建てたのが始まりといいます。

菅原道真は、承和12年(845年)に生まれています。
幼名は、阿呼(あこ)と言い、幼い頃から聡明で5歳の頃「梅の花 紅の色にも似たるかな 阿古がほほにもつけたくぞある」という和歌を詠んだと伝えられています。
11歳の時には漢詩も作ったとか・・・。

菅原氏は代々、学問で朝廷に仕えた家柄で、紀伝道という中国史・漢文学が専門だったそうです。
18歳の時、最年少で文章生(もんじょうせい)の試験に合格すると、260年の間に70名ほどしか合格者が出ていないという当時の最高難関国家試験に26歳で合格、33歳で文章博士(もんじょうはかせ)に昇進しています。

今なら、東京大学に合格し、大学院特待生、エリート官僚の道が約束され、東京大学教授にもなりました・・・といったところでしょうか・・・。

菅原と言う姓を名乗ったのは、道真の曽祖父古人(ふるひと)からで、古人が大和国菅原邑に住んでいたからと言われています。
それまでは、土師(はじ)という姓で、その系図をたどると・・・天穂日命(アメノホヒノミコト)という神さまにたどりつきます。
アメノホヒノミコトはアマテラスオオミカミとスサノヲが誓約(うけい)をした時にアマテラスオオミカミの勾玉から生まれた神さまなんですが・・・。
・・・ん?どっかで聞いたような話し?と思ったら、走湯神社のご祭神・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)とは兄弟神なんです。
先祖に神さまをもつ菅原道真が、怨霊からの出発とは・・・なんとも複雑ではありますね。

家柄としては中流貴族の道真が異例の昇進のきっかけは、第59代・宇多天皇の重用でした。
宇多天皇は、いちど臣下に下り氏を賜って源定省(みなもとのさだみ)となっていましたが、父の光孝天皇(こうこうてんのう)が皇太子を定めぬまま病になり、時の実力者・藤原基経(ふじわらのもとつね)の後押しもあって皇籍に復して天皇に即位しました。
ただ、後に、言葉の行き違いから、宇多天皇の太政大臣・関白就任の再三の申し出を基経は無視し続けます。
道真は基経に諌めの手紙を送り、基経も道真の言葉を受け入れて騒動は治まります。
この事から道真は宇多天皇の信任を受け、基経が亡くなると、その子時平(ときひら)はまだ若く藤原氏に基経のような実力者がいなかった事から、道真の昇進に異論を問う者はいませんでした。

宇多天皇が子の醍醐天皇に譲位した後も、道真は昇進をし、昌泰2年(899年)55歳で右大臣、28歳の時平も左大臣となりました。

昌泰4年(901年)時平は、道真が醍醐天皇を廃して、娘婿の斉世親王(ときよしんのう)を皇位に就けるため画策していると醍醐天皇に伝えます。
醍醐天皇は時平の言葉を信じ、道真を大宰権帥として左遷し、2年後の延喜3年(903年)2月25日、道真は大宰府で病没します。
この事件は、昌泰の変(しょうたいのへん)といい、宇多上皇と醍醐天皇の対立、学者の道真と貴公子の時平の確執などいろいろあってのことのようです。
大宰府へは、道真と幼い息子2人、長男など他の息子達は高知などに左遷になっています。
道真が亡くなる前に、幼い息子達が亡くなっているとも伝えられているので、道真の恨みはとても強いものになっていたでしょう。

道真が怨霊となった姿が、伝わっています。

道真の霊は、亡くなってすぐに比叡山延暦寺の座主・法性房尊意(ほっしょうぼうそんい)の前に現れます。
道真の霊は「私を左遷に貶めた者達に復讐をするため祟りますが、この者達があなたに助けを求めても、けしてそれに応じないで下さい」と法性房尊意に告げます。
法性房尊意は「帝から3度、お召しがありましたら、お断りが出来ませんよ」と言うと、道真の霊は座主の言葉はもっともな事と感じたのか、困った表情になったといいます。
道真の怒りをおさめようと、法性房尊意がザクロの実を勧めると、実を食べた道真の霊は口から炎を吐き怒りをあわらにすると、法性房尊意の前から姿を消しました。

・・・ここから、怨霊となった道真の祟りがはじまります。

・・・続きます。

京都・北野天満宮
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北野天満宮・社殿
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by yuzu-lotus-gt | 2010-09-29 17:06 | まりもメモ

太宰府天満宮

数少ない読者(?)の皆様、大変ご無沙汰しておりました。
こちらのネタになるようなところにでかけられるほどの涼しさになるまで
待っておりました。

いやぁ、あんな猛暑の中でかけてたらあっさり極楽行きですよ。

というわけで、夏休み中に遠出して行ってきました。
九州は大宰府へ。

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心字池にかかる太鼓橋。
あちこちから中国語や台湾語、韓国語が飛び交います。

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こちら立派な本殿。
菅原道真公がいらっしゃいます。

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本殿の裏側に回ると、絵馬がどっさり。
やっぱり日本語以外の言語もたくさん書かれています。
願いの大半は合格祈願。 だよね~。

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この日もすごく暑くて、大宰府焼けするかというぐらいでした。
祈祷してくれる神職の方々も暑くてたまらんでしょう。

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やはりパワーの集まるところには、巨木が似合います。

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この木の周辺が神社の中で一番気持ちがよかったです。
だって・・この日差しですよ。
日陰が一番気持ちいいに決まってるでしょ。笑

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京の都を終われ、大宰府に流されてきた道真公はさぞかし悔しかったろうとは思います。
でも、京都よりのんびりしてて人間性もおおらかな九州は
土地も豊かで暮らすには困らないところだということは今も昔も変わらないと思うのです。
果たして道真公の胸のうちは悔しさだけでいっぱいだったのでしょうか?
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by yuzu-lotus-gt | 2010-09-21 22:29 | 神のやしろ