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蓮のうてな~GT~

安房神社

すでにお正月からかなり経ってしまいましたが、初詣には行かれましたか?
私は近所の氏神様にお参りしてから、いろいろとお参りさせていただいています。

さて、今回偶然にも南房総あたりをぶいぶいと車で流しててこんな由緒ある神社を発見しました。

安房神社(あわじんじゃ)です。

なんと、この神社の創始は今から2660年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられているそうです。

なんかとんでもなく古い!!!

安房神社_a0145274_215754100.jpg


安房神社のHPに、由緒や歴史はとても詳しく書いてあります。
境内にはこのような磐座状のところもありました。

安房神社_a0145274_21583678.jpg


横須賀には、ここ安房から飛んできたという磐がご神体となっている古いやしろがあります。
昔は藪をかき分け山に登ってお参りしたそうですが、現在は開発された住宅街の中に
ブロッコリー山として存在しています。

そちらはまたの機会に訪れるとしましょう。

こちらではお水やお砂もいただくことができるそうです。
その際は、必ずお宮さんでお祓いを受けてからにしてくださいね。

安房神社_a0145274_21585517.jpg


今回は初詣客がたくさん訪れている中お邪魔させていただいたので写真もこの程度しか撮っていませんが、
お参りの皆さんが全員ニコニコしていることがとても印象的でした。
それだけ「ニコニコのパワー」が溢れてるいいお宮さんなんだと思います。

安房神社
# by yuzu-lotus-gt | 2010-01-11 14:51 | 神のやしろ

まりもメモ・白山神社

こんにちは~・・・まりもです。


今回のお宮は、本殿と相殿あわせて5柱の神さまがお祀りされていますが、その中でミズハワケノミコトさまのお話しを・・・。

こちらのお宮では「水歯別命」と記されているようですが、本来のお名前は「多遅比瑞歯別尊・ダジヒノミズハワケノミコト」といいます。
このお宮にお祀りされる時に、なにか事情があって「瑞」が「水」になったのかもしれません。

お父さまは、第16代・仁徳天皇、お母さまは、皇后・磐之媛命で、第3皇子としてお生まれになっています。
この方は、天皇のお子さんなのです。

名前の「多遅・ダジ」はイタドリという花の名前で、生まれた時イタドリの花びらが浮いた井戸の水を産湯に使い、また、「瑞歯別・ミズハワケ」は、白く光り輝く並びの美しい歯をしていたところから、このお名前になったといいます。

言い伝えによると、身の丈9寸2尺・歯の長さ1寸で容姿端麗だったとか・・・。
センチに直すと、身長2メートル77センチ・歯の長さ約3センチ・・・で、イケメン・・・。

・・・時として、言い伝えは大きく誇張されるものです・・・。

まぁ、すらりとした背丈で、目鼻立ちの整った、笑うと白い歯がきらりと輝く皇子さま・・・ではなかったかと・・・。

まりもメモ・白山神社_a0145274_17532368.jpg

                ↑
                イメージ図

皇子さまは、後に第18代天皇に即位しています。
天皇としてのお名前は「反正天皇・ハンゼイテンノウ」。

天皇としての在位は、わずか5年でした。
けれど、その5年の御世は、戦や大きな天変地異もなく、作物は豊作で平和で穏やかだったといいます。

平和な御世を治めた皇子さまを慕い、人々がお祀りしたのかもしれません。

また、名前のいわれにもなった美しい歯をした皇子さまだったので、歯のご利益があると言われています。

まりもメモ・白山神社_a0145274_17544299.jpg

                  ↑
                確かにご利益ありそうだ。(笑)
# by yuzu-lotus-gt | 2009-12-23 23:51 | まりもメモ

古墳もあるよ 白山神社

さて、今回は先の走湯神社からほど近くにあります、白山神社です。

古墳もあるよ 白山神社_a0145274_2230547.jpg


こちらの御祭神は伊邪那岐尊、伊邪那美尊さん。
相殿には大ひるめの尊、水歯別尊、國常立尊さんがお奉りされています。

白山神社でいただいたリーフレット(プリント紙)によりますと・・・
最初は菊名字仲里の山林に埋もれ、白山宮と呼ばれていたが、1684年現在地にうつされた。
創建年代、由緒などははっきりとはわからないが、三浦道寸義同の家臣 菊名左衛門重氏の守護神ではなかったか?という。

仲里は菊名氏の別荘「浜御殿」があったところで、神社の裏山は「じょんやま」と呼ばれ、
後三浦一族が北条早雲の軍と戦った城山の跡と伝わる。

三浦一族滅亡後、菊名氏も滅び以来久しく社頭も荒廃にまかせてあったが、村民相謀って現在の地に社殿を造立した。
現在の社殿は昭和45年に増改築の際、耐火建築に改められた。
周辺は農業、漁業ともに盛んな土地で、海上安全、大漁満足、五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄、商売繁昌の神様として、今もなお大切にされている。

そうです。

古墳もあるよ 白山神社_a0145274_22311567.jpg


境内社金比羅宮石段上にある「切妻造妻入型横穴古墳」は無類に大きく、
奥行き約6メートル、幅約3メートル、高さ1メートル70センチの横穴天井部分は美しく切妻型に削られ、
柱などに浮き彫りが施されて赤塗りの跡が残っているため、奈良時代、氷蛭郷と呼ばれていた当地を支配した豪族の墓とみられている。 

そうです。

古墳もあるよ 白山神社_a0145274_22312928.jpg


これが、その古墳入り口。
ちょっと中までお邪魔する勇気はありませんでしたので、ここで失礼。
確かに綺麗に彫られた古墳であることはよくわかりますよね。

古墳もあるよ 白山神社_a0145274_22314999.jpg


しかし、突っ込みどころも満載で・・・なんでじょんやまやねん?と。
でも、これは調べました。
元々「じょうやま」と呼ばれていたところですが、なまってじょんやまになったそうです。
決して「ジョン」の山ではありません。

神様も結構なマルチっぷりを発揮なさってて、グゥです。

ただ、この古墳ですが、私のもつ奈良時代の古墳といえば「前方後円墳」なんです。
実家の付近はこれが多いんです。
確かにこの形だと豪族やな~と思えるんですが、こちらは山に横穴。
で、想像してみました。

もしかしたら、この地に流れ着いた朝鮮半島あたりから来た技術者なのではないかと。

三浦半島にはその手の古墳が多いと聞きます。
これもそのひとつなのかもしれません。


# by yuzu-lotus-gt | 2009-12-22 12:06 | 北へ 三浦半島編

まりもメモ・走湯神社

走湯神社に祀られている「天忍穂耳命・アメノオシホミミノミコト」という神様は正式名があります。

「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命・マサカアカツカツハヤビアメノオシホミミノミコト」

・・・なんて、長い名前なんでしょう・・・。

この神さまのお母さまは、天照大神・アマテラスオオミカミ
・・・えっ!と思うでしょう。

お生まれと、名前の長さには次のようないわれがあります。

高天原でアマテラスオオミカミとスサノオが誓約(うけひ・誓いを立てて卜占をすること)をするとき、スサノオはアマテラスオオミカミの勾玉を譲り受けて、生まれた皇子の1人がアメノオシホミミノミコトと言われています。

アマテラスオオミカミの勾玉から生まれたので、この神さまはアマテラスオオミカミの息子というわけです。

スサノオは自分の心に邪心がない、卜占に勝ったと喜び「正しく勝った、私が勝った・(正勝吾勝・マサカツアカツ)」「勝つこと日の昇るが如く速い・(勝速日・カチハヤヒ)」と言ってこの名前がつけられたようです。
オシホ(忍穂)は、稲穂の意味で、耳は、実がいっぱついた頭をたれる稲穂をあらわしていると解釈されています。


アメノオシホミミノミコトはアマテラスオオミカミから地上へ降臨し治めるように命じられるのですが、地上はいまだ無秩序ということで途中で引き返してきます。
のちに、地上が平定されるとタカミムスビノカミの娘・タクハタチヂヒメノミコトとの間に出来た、生まれて間もないニニギノミコトを代わりに降臨させます。

生まれて間もない赤ちゃんを?・・・と、思うところですが、生まれたての若々しい神のほうが霊威がより強力だということから、アメノオシホミミノミコトは息子のニニギノミコトにその任を譲ったといわれています。

アメノオシホミミノミコトは、農業・工業・鉱山の守護神で、ほかに、勝運・招福・入学・就職・結婚・厄除け・病気平癒などのご利益があります。
# by yuzu-lotus-gt | 2009-12-07 16:08 | まりもメモ

温泉はないよ 走湯神社

三浦海岸のも少し南、金田湾の海岸からちょっと内側に入ったところに
走湯神社があります。
小さな地元に愛されてる神社って感じのお社です。

温泉はないよ 走湯神社_a0145274_22193047.jpg


一体いつ建てられたのか由緒が定かでない。 とのことですが、創建された当時はもしかしたら
温泉が湧いていたのかも?しれませんね。

温泉はないよ 走湯神社_a0145274_22195142.jpg


ご祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)さんです。

後ろにはこんもりとした鎮守の森が静かに金田の畑の中にありました。

ちなみに、本家本元伊豆山神社(全国に散らばる走湯神社の事実上の総本社格。)には、こんな縁が。

「源頼朝は平治の乱の後伊豆国に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願した。
この間有力豪族の伊東祐親に追われて当社に身を寄せたり、小豪族の娘であった北条政子との逢瀬の場に
するなど深い関わりを持ち、後に鎌倉幕府を開くとここを「関八州鎮護」と称えて多くの社領を寄進した。
南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有していたとされる。頼朝と政子の恋の舞台であった事から、現在も縁結びや恋愛成就を目的とする参拝客に人気がある。」

(ウィキペディア先生から引用)

だそうです。
もしかすると、ここの走湯神社さんもそんな縁結び伝説とか、頼朝公と縁があったりして。


# by yuzu-lotus-gt | 2009-12-05 22:22 | 北へ 三浦半島編