谷津浅間神社
こちらは金沢文庫駅からほど近くにあります、谷津浅間神社(やつせんげんじんじゃ)さんです。
この道から階段をひたすら登っていきますと、丘のてっぺんあたりにお社があります。
浅間さんということは、木花開耶姫さまがお奉りされていることだけはわかったのですが・・
唯一見つけたのは藤原道長伝説だけです。
「能見堂縁起によると、寛仁年間(1017~1020)御堂関白藤原道長公がここに来て
ここからの素晴らしい眺めを見て、草庵を結んだのがはじまりとされています。
また谷津の浅間神社についても同じ頃来遊した道長公が能見堂から「かねさは」の景色を見て、
正面のすぐ目の下に見えるこんもりと松の茂った森を塗桶の形に似ていることから塗桶山と
名づけ、そこに浅間大神(木花咲耶姫)を勧請したと伝えられています。
当時の「かねさは」は東国の草深い村で藤原道長が来遊した史実はありません。
金沢八景の景観の素晴らしさを伝えるために生まれた伝説と考えらています。」
だ、そうです。
赤い小さなお社。
冬のお祭りの夜は、幻想的な明かりがふもとから道沿いにお山まで灯ります。
何度か駅からみたことはありますが、それはなにか次元の違うところにある
場所のように思えました。
この道から階段をひたすら登っていきますと、丘のてっぺんあたりにお社があります。
浅間さんということは、木花開耶姫さまがお奉りされていることだけはわかったのですが・・
唯一見つけたのは藤原道長伝説だけです。
「能見堂縁起によると、寛仁年間(1017~1020)御堂関白藤原道長公がここに来て
ここからの素晴らしい眺めを見て、草庵を結んだのがはじまりとされています。
また谷津の浅間神社についても同じ頃来遊した道長公が能見堂から「かねさは」の景色を見て、
正面のすぐ目の下に見えるこんもりと松の茂った森を塗桶の形に似ていることから塗桶山と
名づけ、そこに浅間大神(木花咲耶姫)を勧請したと伝えられています。
当時の「かねさは」は東国の草深い村で藤原道長が来遊した史実はありません。
金沢八景の景観の素晴らしさを伝えるために生まれた伝説と考えらています。」
だ、そうです。
赤い小さなお社。
冬のお祭りの夜は、幻想的な明かりがふもとから道沿いにお山まで灯ります。
何度か駅からみたことはありますが、それはなにか次元の違うところにある
場所のように思えました。
by yuzu-lotus-gt
| 2010-05-13 22:28
| 北へ 横浜(金沢区磯子区)編