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蓮のうてな~GT~

浅間神社

浅間神社は全国に約1300社ほどあるといいます。

浅間神社の祭神は?・・・と言うと「木花咲耶姫・コノハナサクヤヒメ」と言われることが一般的ですが、この名前は別名で、神話では「神阿多都比売・カムアタツヒメ」「鹿葦津姫・葦津姫・カヤツヒメ」などが本名と書かれています。

父は「大山祇神・オオヤマツミノカミ」、姉に「石長比売・磐長姫・イワナガヒメ」がいます。

コノハナサクヤヒメは高天原より日向国に降りてきたニニギノミコトに笠沙の御前で見初められ、求婚されます。
その時のニニギノミコトのプロポーズの言葉は・・・。

「私はお前を妻にして、共に寝たいと思うのだが、お前の気持ちはどうだろうか?」

・・・古代の人って回りくどいことしないで、ストレートに自分の気持ちを伝えてたのかも・・・。

コノハナサクヤヒメの返事は「私からはお答えできません。父からお返事いたします」と父のオオヤマツミノカミにニニギノミコトから求婚されたことを伝えます。
オオヤマツミノカミは大変悦び、沢山の結納の品をそろえて姉のイワナガヒメと共に嫁がせました。
しかし、イワナガヒメは醜女だったため父神の元に返されます。
イワナガヒメは悲しみと恥ずかしさで呪いの言葉を言います。
「ニニギノミコトさまが私をお召しになり、御子が出来たならば、その御子は岩のごとく長命であったでしょう・・・」
「妹だけをお召しになられたので、その御子はコノハナという名の通り、美しく咲きますが、はかない命となりましょう・・・」
「生きとし生けるもの、すべての命が短命になるでしょう」・・・と・・・。

人が長命でないのは、この故事から由来するものと言われています。

ニニギノミコトの妃となったコノハナサクヤヒメは、一晩の契りで身ごもります。
ニニギノミコトは「一晩召しただけで子が出来るはずがない。その子は私の子ではなく、どこぞの国津神の子であろう」と懐妊を疑う言葉を言ったのです。

コノハナサクヤヒメは「私が産屋に入りましたら出入り口を塞ぎ火を放ちましょう。火に焼かれず御子が生まれましたら、その御子はミコトさまの御子でございます」と・・・。
業火の中、コノハナサクヤヒメはホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)の三柱を無事に生み、ニニギノミコトの御子であることを証明したのです。

神話では、その後のニニギノミコトとコノハナサクヤヒメのことが少し載っているのですが、懐妊を疑われたことを怒ったコノハナサクヤヒメは、ニニギノミコトと話しもしなくなり、ミコトは嘆いて歌を詠んでいます。

          沖つ藻は 辺には寄れども さ寝床も 与はぬかもよ 浜つ千鳥よ

(沖の海に漂う藻草は、浜のまにまに岸辺には寄って来るが、我が妻は遠く離れて、私に寝床も与えてくれないのか、浜の千鳥もひとつがいでいるものを)

・・・ニニギノミコトさま・・・奥さまが怒るのは当然だと思います・・・。

さて、コノハナサクヤヒメの本名「神阿多都比売・カムアタツヒメ」には次のような意味があると言われています。
「阿多・アタ」とは薩摩国阿多郡阿多郷の「阿多・アタ」で、この意味からコノハナサクヤヒメは薩摩国の阿多隼人の首領の娘だといいます。
・・・とすると、日本の山を統括しているオオヤマツミノカミは阿多隼人の首領なのかな・・・?
神話の中には、いろんな話しが隠されているようです。

天孫ニニギノミコトの御子を生んだことで、コノハナサクヤヒメは富士山を父神から譲り受け、富士の神として鎮座します。
静岡県富士宮市の富士山本宮浅間神社が全国の浅間神社の総本宮です。

コノハナサクヤヒメが生んだ、ホオリ(山幸彦)は、神武天皇の祖父にあたります。
宮崎県西都市に、女狭穂塚(めさほづか)という前方後円墳があるのですが、この古墳がコノハナサクヤヒメの陵墓と言われています。
また、男狭穂塚(おさほづか)という帆立貝形古墳も西都市にあり、ニニギノミコトの陵墓と伝えられています。
天皇家に伝わる陵墓ということで、宮内庁が管理しているので見学には制限ありのようです。

コノハナサクヤヒメの神徳は、農業・漁業・航海安全・安産・子授け・火難消除・織物業守護などです。
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富士山本宮浅間神社
by yuzu-lotus-gt | 2010-06-02 17:22 | まりもメモ